まち案内

天神社(西東京市北町)

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神仏分離を色濃く伝える神社

西東京市北町にある天神社は、菅原道真を祭神とする神社です。郷土史家の高橋孝さんとともに、「下保谷村」の鎮守の森を訪ねました。

まずは定番の外観のスライドショーで、雰囲気を感じてみてください。

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今は「天神社」という名称のこの神社ですが、もとは「三十番神社(さんじゅうばんじんじゃ)」と呼ばれ、「番神さま」と親しまれていました。三十番神は、30柱の神様が日替わりで国家・人民を守護するという信仰です。特に中世以降、日蓮宗で盛んになりました。

現在の西東京市下保谷・北町の一帯は、ほとんどの家が日蓮宗という地域です。その地の神社が「三十番神社」となるのは当然だったわけですが、明治新政府の神仏分離令により、神社での信仰はできなくなりました。そこで、三十番神のうちの菅原道真を取り出し、ご神体としたのが、今の天神社です。

境内には、日蓮宗の題目塔が今も残ります。高橋孝さんのご案内です。

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拝殿には「龍」の鏝絵が精巧に

西東京市有形文化財にも指定されている拝殿は、天保5年(1834年)の建築と推測されています。全体的に彫り物の見事な拝殿ですが、近年、大きな発見がありました。扁額の裏のところに、龍の鏝絵(漆喰画)があることが分かったのです。

それまでは波の鏝絵と思われていたのですが、調査の際に扁額の裏にカメラが入り、龍の顔が発見されたとのことです。

龍は、水の神様。水に乏しい武蔵野地域の人々が、安定して水が得られることを願ったのでしょう。郷土史家・高橋孝さんは、写真をつなぎ合わせて龍の彫刻を復元しています。映像と解説をご覧ください。

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宝暦の年号がある獅子頭も

このように地域で崇められてきた天神社の一角には、「天満宮」(菅原道真を祀る神社)と目される祠(ほこら)があります。ここにはかつて、宝暦(1751~1764年)の年号が入った獅子頭が置かれていたそうです。今は台座だけが残り、本体は大事に保管されているとのことです。高橋さんは「江戸でも獅子頭はたくさんあるけれども、宝暦まで遡れるものは珍しい」とその価値を評価します。

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ところで、拝殿横には、南北それぞれに「後現稲荷大明神」と「富岡稲荷神社」が祀られています。

これは、明治時代の神社整理の際に、一村一社に対応するため、村の人々がここに合祀を願い出たものです。

「後現稲荷大明神」は荒屋敷の人々が200円を添えて、「富岡稲荷神社」は新田(しんでん)の人々が土地60坪を購入して、ここに納めたのです。高橋さんのご解説です。

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こうして見ると、神社が地域の人々と密接につながって今日に至っていることがよく分かります。

ちなみに、それを垣間見るもう一つの材料として、拝殿中の御岳講などがあります。ふだんでも拝殿を覗き見上げれば目視できますが、今回、特別に中側から撮影させていただきました(注:同神社では自動セキュリティシステムを配備しています。許可なく立ち入ることは禁止されています)。

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最後におまけ映像。

天神社の南側の角には、道祖神が立っています。右は引又宿、左は田無宿を指しています。当時の往来を偲ぶことができる道祖神です。

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イッツ君
ここで祀られていた三十番神は、別当だった近くの福泉寺で保管されているよ。
ザッツ君
道真に縁ということで、元号が令和に決まったときは参拝者が多かったそうだよ。

 

データ

天神社

住所:西東京市北町6-7-19

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