まち案内

田無神社 ~郷土史家と巡る~

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田無の歴史が凝縮 見どころ豊富な神社

パワースポットとしても注目され、参拝客が絶えることのない「田無神社」は、その境内に田無の歴史が詰まっています。今回、西東京市の郷土史家・近辻喜一さんの案内で、田無神社を訪ねました。

まずは、境内をスライドショーでご覧ください。

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さて、この境内を郷土史家・近辻さんにご案内いただきます。

最初にご紹介くださったのは、ほとんどの方が素通りしていく1枚の案内板の前でした。青梅街道に面した鳥居のすぐ横で、案内板には「賀陽玄節邸跡」と書かれています。いかにも、郷土史家らしい着眼点ですね。

近辻さんの解説によると、賀陽玄雪は、備前・池田藩(岡山県)の侍医の家柄の人。諸国修行の旅の途中で田無村に立ち寄ったところ、当時の名主・下田半兵衛から「無医村の田無村に残ってほしい」と懇願され、ついには家族を呼び寄せたとのことです。

そのときに住まいとして用意されたのが、現在、多目的ホール「コール田無」がある場所でした。近辻さんの解説の一部です。

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その息子・濟(わたる)が田無神社の初代宮司となったということもあり、近辻さんは「田無神社の近代史は、玄雪の移住から始まった」と評価します。なお、濟もまた、医師として村に尽くし、さらには農村子女の教育にも心血を注いだと伝わっています。

拝殿・本殿は都指定文化財

次にご案内いただいたのは、拝殿です。拝殿はいわば、神社の顔。参拝客にとっては、最もなじみのある場所といえるでしょう。まずは、近辻さんの案内で、拝殿をご覧ください(注意:途中で救急車の音が入ります)。

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田無神社自体の創建は、鎌倉時代とみられています。実は今の場所ではなく、水が湧いていた「谷戸」にありました。現在の西東京市立田無第二中学校のプールの辺りにあったようです。当時は名称を「尉殿権現社」といい、風の神、水の神を祀っていました。それが現在地に遷座したのは、350年ほど前のことです。江戸城築城のために1603年に青梅街道が開削され、宿場町として田無村が作られたことにより、人々の心の拠りどころとして遷されたとみられます。

現在の本殿が作られたのは安政5年(1858年)です。現在の瑞穂町にいた大工・鈴木内匠が棟梁を務め、彫刻の名手として知られた嶋村俊表が招かれました。嶋村俊表は、国の重要文化財である成田山新勝寺釈迦堂などを手掛けた彫工です。名匠の手で彫られた本殿は、東京都指定有形文化財になっています。普段は公開されていませんが、例年11月の酉の日(大酉祭)に特別公開されています。なお、境内の案内版では、東京芸術大学の宮田亮平学長の解説として「田無神社の本殿には円熟期の俊表の技量がみごとに発揮されています。誠に嶋村俊表の代表作と申せましょう」と紹介されています。

その後、明治の神仏分離令を受け、「田無神社」と改まりました。

拝殿が建立されたのは、明治8年(1875年)です。こちらは田無の高橋金左衛門が棟梁を務めたとの記録が残っているそうで、近辻さんは、「当時の田無に、この拝殿を作れるだけの文化があったというのは驚き」と評価しています。この拝殿も、東京都指定有形文化財です。

田無用水が境内を流れる

続いてご案内くださったのは、2、3歩で渡れるほどの小橋。予備知識がなければ素通りしそうな橋ですが、柱に「神橋」と彫られています。境内に田無用水が引かれていて、最終的には石神井川に注いでいました。

この小橋自体は昭和13年の建立だそうですが、近辻さんは、「田無用水を語る上では貴重な史跡」と解説します。

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境内の奥に、近代史のエピソードが

拝殿の横に場所を移すと、まず目を引くのが、昭和の大横綱・大鵬にゆかりの土俵です。

が、郷土史家・近辻さんが着目するのは、その脇に建つ「日露戦没記念碑」のほうでした。いや、厳密にいうと、さらに脇に小さく建つ「凱旋記念」碑が興味の対象です。

まず「日露戦没記念碑」ですが、こちらは高さ3メートルほどはあろうかという大きな石碑です。日露戦争には、田無村から71人が出征し、3人が戦死、68人が凱旋帰国しています。この碑の裏にはその氏名が、田無小学校の初代校長・刑部真琴によって彫られています。

一方の表の揮毫は、総司令官の大山巌によるものです。

このような貴重な記念碑の横で、その凱旋記念碑は相応に存在感を放っていました。近辻さんの解説によると、先述した71人の出征者のうち、70人が陸軍、たった1人だけが海軍だったそうです。

その海軍から凱旋した方が、個人で小さな凱旋記念碑を建てたのだそうです。近辻さんがご解説くださいました。少し長めの40秒の動画でご覧ください。

Special動画(40秒)

歴史ある「稲荷」も鎮座

拝殿横の一角には、稲荷社も鎮座しています。「野分初(やぶそめ)稲荷社」で、もともとは現在の西東京市立谷戸小学校辺りにあったとみられています。

現在地にいつ遷ったのかは資料がなく、不明とのことですが、建築の専門家の見立てでは、江戸時代初期の頃の建立ではないかとのことです。となると、やはり350年ほど前の田無神社遷座の頃に遷ったものと推測できるようです。近辻さんの解説です。

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田無の発展につながった農地改革

境内西側には、農地改革の碑があります。これは、昭和23年に、土地の払い下げを受けた人々が記念に建立したものです。近辻さんは、「あまり注目されない碑だけど、田無の歴史では重要」と指摘します。

農地改革は、地主制の解体を目的に、戦後すぐにGHQの指導で行われた取り組みです。かつては土地に対する思い入れが深く、大地主ほど先祖代々の土地を手放すことに抵抗したようですが、「細切れ」になったことで、その後の土地の売買がスムーズになった面があったようです。「結果的に田無の発展につながった」と近辻さんは話します。

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——と、このように見どころがいっぱいの田無神社。取材時も、平日にもかかわらず、多くの参拝客であふれていました。

最後に、賀陽智之宮司から一言いただいたので、ご覧ください。

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なお、来年(令和2年)は、田無神社の遷座350年にあたるとのことです。

イッツ君
このほかにも、境内にはたくさんの見どころがあるんだよね。
お守りなども、独自のものがたくさんあるよ。
レッツちゃん
ザッツ君
例大祭は10月の第2日曜日と前日の土曜日。これは盛大だよ!

 

取材者メモ

郷土史家・近辻喜一さんのご協力のもと、今回は「歴史」の面から田無神社を紹介しましたが、このほかにも田無神社には見どころがたくさんあります。公式のホームページが充実していますので、ぜひご覧になってみてください。

田無神社 http://www.tanashijinja.or.jp/

 

データ

◎田無神社

住所:西東京市田無町3-7-4

電話:042-461-4442(社務所)

http://www.tanashijinja.or.jp/

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