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西東京市郷土史 ~田無 青梅街道編~

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400年、変わらぬ道幅

郷土史家とともに町をめぐるこのシリーズ。今回は、地域住民にとってなじみ深いあの道、そう、青梅街道に着目しました。

青梅街道は、江戸幕府が始まった1603年に、江戸城築城のために必要な石灰を青梅から運ぶルートとして開かれました。その運搬のための中継地の一つとして開かれたのが「田無村」です。

田無の人々は、もともとは現在の西東京市の中央部にあたる「谷戸」の一帯で暮らしていました。谷戸は水が湧いたためです。

その村を、意図的に青梅街道沿いに移動させたのが、江戸時代初期。神社(現・田無神社)やお寺(現・総持寺)なども移し、村には田無用水を引きました。その名残りが、今も、青梅街道の幅に表れています。

街道に沿って村ができたため、その後、拡幅できなかったという青梅街道。その道幅は、約400年間、変わらず約9メートルのまま、とのこと。青梅街道のまっすぐな道を眺めたとき、その空間は、往時と同じということですね。

そんな話や、青梅街道と府中道が交わる「田無5丁目」交差点がなぜクランク状なのか、といった裏話を、地元の郷土史家・近辻喜一さんにご解説いただきました。

この動画は、1分36秒のロングバージョンで掲載しています。

Special動画

 

イッツ君
あの通りにくい交差点が、軍事上の理由でわざと作られていたとはビックリだね。
青梅街道に沿って作られた、田無用水編もあるよ。記事はこちらから!
レッツちゃん

 

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